sait0’s blog

思想があり、それを概念として提示するだけではなく、実践する生き方

7. 2023.01.27

今日から2泊3日で新潟にいる友達のところに遊びに行く予定である。年末に帰省したとき、当日に慌てて準備をして行ったら大量に忘れ物をしたので、今回は同じ轍を踏まないように、昨日のうちに準備をすませておいた。

3時過ぎに目が覚める。それだけ楽しみだったのだろうか、アラームよりも1時間も前に目が覚めてしまった。布団の中が温かくて外に出るのが億劫で、30分ほどまどろんでから意を決して起き上がる。

 

福岡はそこまで影響を受けていないけれど、列島は最強寒波到来で大変なことになっているらしい。僕が乗る新潟行きの飛行機も、昨日の時点で欠航の可能性があるということがアナウンスされていた。

当日の朝、起きてみるとまだ欠航という連絡は来ていない。ならば飛ぶことを信じて空港に行ってみるしかない。5:15発の始発電車に乗り込んだ。この時点で連絡がきていないということはもしかしたら何事もなかったように新潟に行けるかもしれない。そんなことをこのときは考えていた。

空港に着いてチェックインカウンターに行ってみると、「飛行機は飛ぶが天候によっては着陸できず引き返すことがあり得る」とのことだった。まずは飛んでくれることに一安心。

朝7時、飛行機に乗り込む。なんでもない平日ということもあり、機内には空席が目立つ。機内の雰囲気もいつも通りで、CAさんが連絡を取りあって慌てているとかいうこともない。これは普通に行けそうだなと思う。

フライト時間はおよそ1時間半。福岡空港を飛び立つ時には分厚い雲に覆われていたが、飛行機が飛ぶ高度まで達してしまえばそこには太陽が燦燦と輝いており青空が広がっている。機長のアナウンスによれば、新潟空港の積雪により空港上空で待機する可能性があるとのことだった。引き返す可能性があるということをアナウンスしないということは着陸はできるのだな、と完全に油断していた。

8時30分、新潟空港が近づき着陸態勢に入ったが、雪が強く上空で待機するというアナウンスが入る。飛行機は着陸のために高度を下げているので、雲の中にいた。窓から外をみるとあたりは一面雲に覆われていて、エンジン速度を落として徐行している飛行機の中にいると、これは本当に飛んでいるのだろうかと不思議な感覚になる。

呑気にそんなことを考えながら窓の外を眺めていたら再び機長からのアナウンス。

 

新潟空港の降雪が激しく除雪作業が1時間以上かかる見通しであるので、安全上やむなくこれから再び高度をあげて福岡空港に引き返す

 

あらー、引き返すんだー。そこからまた2時間かけて福岡空港に戻ってきた。合計4時間ほどかけて振り出しに戻る。

結構飛行機に乗る機会があるけど、引き返すのははじめてだなあ。新潟の真上まで行ったんだけどなあ。天気のことはどうしようもないので仕方ないと思うしかない。こうなったら意地でも新潟に行ってやるという気持ちになってくる。

11時、再び福岡空港に降り立つ。4時間空に居ただけで、実質一歩も進んでいない。払い戻しや振り替えについての説明があってから飛行機から降りる。航空会社の人も大変である。幸いなことに今回乗り合わせた人たちは文句を言ったりすることもなく穏やかに引き返すことができたけど、少し頭に血が上るのがはやい人がいたら、大変だったろうと思う。

さて、これからどうするか。ひとまず預けていた荷物を受け取り航空会社のカウンターに向かう。次の新潟行き直行便は17時台の出発だし、それに乗ってまた引き返してきたら今度こそなす術がないので、安全策で東京まで飛行機で行ってそこから新幹線で新潟を目指そうと思いつく。カウンターで成田か羽田行きの飛行機に振り替えができるか尋ねたところ、それも可能だとのこと。これで展望が開けたと思ったのだが、その場で振り替えができるちょうど良い便は全て大手航空会社の便で、その便を予約するにはプラス2万円ほど払わなければならず、それは流石に懐事情的に難しかった。

仕方なく払い戻しの手続きをしてもらい、一旦カウンターを離れる。どうしたものか。ひとまずこれから東京に向かう安めの飛行機がないか探してみる。すると13時発のLCC便に空きがあった。その場ですぐに予約と決済を済ませ、慌てて搭乗手続きを済ませる。本日二度目の保安検査である。いつもは少し緊張する保安検査も2回目となれば慣れたものだ。

保安検査を通過してふと時計をみると、まだ出発まで1時間以上時間がある。1度目の飛行機を降りてから焦っていたので、ずいぶん慌てて搭乗手続きを済ませてしまったようだ。少し余裕ができたしお腹もペコペコだったので、一蘭の空港店を見つけてそこに入ることにする。福岡空港7時20分発の飛行機に乗ったはずなのに、いまだに福岡にいるという事実をなんとか肯定するためにとんこつラーメンをすする。いつも以上に美味しかったような気がした。

13時15分、本日2度目のフライトに向け飛行機に乗り込む。午前の私たちのように引き返す飛行機が多いためか、滑走路が混雑しているようで予定よりも30分遅れての離陸となった。

15時30分成田空港に着陸。これでようやく前に進んだ。ホッとしたのも束の間、乗り換えアプリによれば15時59分発の京成スカイライナーに乗れなければ、新潟に着くのが20時になってしまう。新潟で待っている友達には19時に着く予定だと言ってあるし、自分の精神的にも早く新潟に着きたいので、これを逃す訳にはいかない。成田空港でダッシュ

成田空港は色んな電車が走っているので、結構改札が複雑で、特急券を買ったりなんだりしていて危うく乗り遅れるところだったけど、ドアが閉まる直前に駆け込みなんとか15時59分発のスカイライナーに乗り込むことができた。車内はスキーを持った外国人も多く、こんなところでコロナが収束しつつあることを感じる。16時40分、京成上野駅着。上越新幹線のチケットを買って改札に向かう。駅が大きい、人が多い!東京に来たなあという感じ。

17時14分上越新幹線「とき」に乗り込む。思えば上越新幹線に乗るのは初めてである。ハプニングのおかげでまた一つ経験が増えたなと思うことにする。

 

それにしても疲れた。

6. 時間

年末に帰省した時、祖母の家に何日か泊まったのだが、私はなんとなく居心地の悪さを感じていた。毎年年末は私の家族と従兄弟の家族が祖母の家に集まって新年を迎えるというのが恒例になっているので、昨年の年末も祖母の家で年越しをした。いつものように年越しをして、これまでと変わったことは特になかったのだが、私は「もしかしたら来年はもう祖母の家で年越ししたくないかもな」と思った。その時はなぜこんな気持ちになったのかよくわからず、うっすらとした違和感と居心地の悪さだけがあったのだが、年が明けて家に帰ってきてから振り返ると、その居心地の悪さの原因がわかった。

私がその時に感じた違和感と居心地の悪さの正体は「流れている時間が違う」ということだった。私は大学進学を機に地元を離れて一人暮らしをしている(結構実家から離れた地域に進学したので、頻繁に帰省するのは物理的にも金銭的にも難しい)。一人暮らしを始めてから4年が経とうとしているが、その間に私は色んなことを経験して色んなことを考えて生きてきたつもりである。だから多分実家で暮らしていたあの頃の自分と今の自分は色んな意味で異なっているはずである。しかし、帰省して実家に帰ると特に祖母にとっての私は、いつまでもあの頃の子供のままであるような気がしてならない。それを祖母の振る舞いをみていても、会話をしていても感じたのだ。だから私は、自分と地元(祖母)との間に流れている時間がズレはじめているのだということを感じたのだと思う。そんなことがあってから、最近私は流れる時間について考えている。

自分と他者の間に流れる時間について考えていて思ったのは、対人関係に関わる時間と、何かについて考える時間では、私の中で好ましいと思うスピードが違うのだということだ。どうやら私は、誰かに何かを連絡したりする対人関係においてはその時間が速い方が心地よく、反対に何か思考する時はなるべくゆっくりしたいと考えているようである。

対人関係に関わる時間として思い浮かんだのは、友人と旅行にいく場面である。先日、中学校時代の仲間と旅行に行こうという話になった。どこかに旅行に行くということは決まったのだが、実際にどこに行くのか、何日行くのか、どうやって行くのかということが遅々として決まらず、そのことに私は少し苛立っていた。これはまずいと思って私からさまざまに提案をするのだが、他のメンバーからのレスポンスはゆっくりで、結局旅行の詳細を決めるのに1ヶ月くらいかかってしまった。

それに対して、また別の機会に大学の友人とスキーに行こうという話になった時には、決めるべきことがスパスパと決まっていってとても居心地が良かった。スキーに行こうということが決まってグループラインができてすぐに、ある一人が行き先を提案してくれた。それに全員がすぐに反応して、ある人は宿を探し、ある人は航空券を手配しという感じでそれぞれがすぐに動き出して、ものの1時間ほどであっという間に旅行の行程が決まっていった。

この二つの旅行の詳細が決まるまでの時間を経験して感じたのは、私はこういう他の人と一緒に何かを決めなければならない時は、なるべく素早くやるのが心地良いのだなということであった。もっと言えば、私はあることについて長期間考え続けるのがあまり好きではなくて、決めるべきことがあるなら集中的にそのことについて考えて、一気に決めてしまう方が良いのだ。そういうことも含めて、対人関係においてはレスポンスが早くてどんどん話が進んでいく”速い時間”の流れが好みである。

それに対して、何か思考する時はスローに行きたいと思っている。中高時代と大学一年生くらいまで、私はビジネス書や自己啓発書と呼ばれる類のものを読むのが好きだった。しかし最近はめっきりその手のものを読まなくなった。それはビジネス書や自己啓発書に書かれていることはあまりにも賞味期限が短いと感じるようになったからである。特にビジネス書は、その時代の速度に合わないものはそもそも読んでもらえないので、書かれて数年たったら状況が変わっているということが往々にしてある。そんな時代の流行り廃りに流されないようなやり方でものを考えていたいなあと今の私は思っている。

なので今は学術書やエッセイ、小説ばかりを読んでいる。学術書はその時に起きていることだけではなく、これまで積み重ねられたものの上に成り立っているし、エッセイや小説は何かを断定することがあまりないので、それを読んだ後に自分でゆっくりと考えることができる余白がある。そういう理由で今のところはそんなものを読んで、ものを考えるようにしている。私にはものを考える上では”ゆっくりとした時間”が流れている方が性に合っている気がする。

これは速い遅いどちらが良いとか悪いとかいう話ではなく、単純に自分にとって心地がよいのはどのような速さで流れる時間なのだろうかということでしかないと思う。しかし、自分と気があってよく一緒にいる友達はおそらく自分と近しい時間の流れ方をしているのだろうし、反対に自分にあまり合わない速さで流れている時間の中に身を置き続けていると、だんだんとそこにいるのがしんどくなってくるというのもまた事実であるように思う。私の中では帰省した時に滞在する祖母の家で流れる時間は、時を経て少しづつ自分とは異なるものになっていったのだろうし、中学時代の仲間たちとは”流れる時間”という点においてはちょっとずつずれが生まれてきているのかなと思ったりしている。

 

5. 変化することとその怖さ

前回、卒論を書き終えてからも論文執筆モードそのままに学術書を読み漁っており、ふと抽象的な思考ばかりしていていいのだろうかと思ったという話を書いた。今日はそのことの続きを書いてみようと思う。

愛聴しているポッドキャスト『奇奇怪怪明解辞典』の第141巻、「なぜ我々はエモに耐えきれないのか」が配信された*1。NewJeansの「Ditto」のMVを議論の入り口にして、taitan氏がエモいものを観続けることができないのはなぜかということについての話が進み、奇奇怪怪明解辞典らしい、カオスだが芯を食った議論が展開されていて楽しく拝聴した。

その中で、エモいものに耐えられない理由の一つの仮説として、「エモいものに身体を侵されていく感覚が怖い」(大意)というものが提示され、taitan氏はこれを「酒と同じ」と形容していた。酒は美味しいし味が嫌いなわけではないのだが、そこには飲み続けると気持ち良くなって何をするかわからないという恐怖が常にあるというのだ。

これを聞いて私は、前回書いた抽象的な思考にずっと閉じこもってしまうことに対する違和感の正体がなんとなく掴めたような気がした。

どういうことか。奇奇怪怪明解辞典で言及されているように、エモいものを観続けること、また酒を飲み続けることの先にあるのは、自らの身体がそれに侵されていくような感覚である。エモいものを観続けるということは、その瞬間にはもしかしたら何も生み出していないにもかかわらず、「エモ」というものに浸ることによって気持ちよくいられるということである(このことも配信内で言及されている)。また酒を飲み続けるということは、アルコールに体内を侵されることによって、ある種脳が麻痺して正常な思考をすることが難しくなるということを意味する。つまり、何かに身体を侵されることによって自らが何かしら変化してしまうのだ。taitan氏はこのことが「怖い」のだと言う。

私が前回抱いた抽象的な思考に染まってしまっていることに対する違和感というのも、こういうことなのではないか。私は抽象的思考によって身体が侵され、自らが変化してしまうことが「怖い」のである。

自らが変化するということは、当然これまでの自分とは別の自分になるということである。これまでとは違うことを考え、これまでとは違う景色が見えるようになる。外から見た自分はこれまでと同じように見えるのだが、その中身は全くの別人である。その別人は自分であるにもかかわらず、自分がこれまで出会ったことのない自分である。それはさながら初対面の人に会うようである。相手(この場合自分なのだが)がどんな行動をするのかわからない、何を考えるかすらわからない。初めて会う人をすぐに好きになることが難しいように、変化してこれまでとは違う自分を受け入れるということはすぐにできるものではない。その変化の過渡期にあっては、私が前回抱いたような自分に対する違和感や時には嫌悪感を抱くのではないだろうか。

実際前回の文章を書いてから何日か経っているが、ほとんどやっていることは変わっていないにもかかわらず、少しずつではあるが自分の変化を受け入れられるようになってきたような気がする。それは四六時中一緒にいる「自分という他者」のことが少しづつわかってきたからであるのだと思う。ここから「自己と他者」とかについて論考を深められたら面白いと思うのだが、一度に深入りしすぎると途中で息切れを起こしそうなので、それはまたどこかで考えてみたい。

*1:『奇奇怪怪明解辞典』第141巻(後編)「なぜ我々はエモに耐えきれないのか」

https://open.spotify.com/episode/3avf74qNfOF6vLW4Ph7RVk?si=YgoUJpxfRTW2VJX2_80l9Q

2023年1月19日配信

4. 抽象だけでよいのだろうか

哲学や人類学の理論、もう少し広く言えば人文科学と呼ばれる学問は世の中や世界の見方や捉え方のヒントを与えてくれるものであるのだということを、バイトに向かう電車の中で『世界史の構造』を読みながら思ったりした。人文科学を学ぶということは、現実世界で起こっていることを、先人たちがどのように考えてきたのかということについての知見を広げ、それを参考にしたり乗り越えたりしながら自分自身でも新たな世界の見方を提案していくという営みなのかもしれない。(といってもその入り口に立っているだけの立場であるので、見当違いのことを言っているかもしれないが。)

 

卒論を書くとき、自分自身のフィールドワークの経験をまとめるにあたって、人類学や哲学の書籍や論文を参照した。それはこれまで人類学や哲学で議論されてきたことを知り、その流れの中に自分の研究を位置付ける上で必要不可欠なことであった。しかし、そういった類のものを読めば読むほどわかってくるのは、そうした理論や考察もまた誰かの議論の上に成り立っているものであり、自分はある物事について最も上澄みの部分にしか触れていないのではないかということだった。そのことに私はある種の恐怖を覚えた。というか果たして自分はこんな浅学な状態で曲がりなりにも”論文”と呼ばれるものを書いていいのだろうかという思いに、書けば書くほどとらわれていった。それでも何かしらを自分で書いた”論文”として提出しなければならず、その期限は迫っていた。

なんとか論文は書き上げることができ、自分の中でも今できることは出し尽くしたと思える状態に仕上げることはできたが、この「こんな状態の自分」という感覚は論文を提出した後も拭うことができないでいる。

そんなこともあって私は、論文を提出した後も本を読み続ける生活を送っている。もちろん四六時中本を読んでいるわけではないが、暇さえあれば本を読みたくなり、そして手にとる本はだいたい学術書である。

これはもしかしたらいいことなのかもしれない。というか、自分の習慣が変わっていい状態になりつつあると思っていた。

学術書を読むという行為は体力がいる。特に学術的な文章に慣れていないと、まず「読もう」と思うまでに時間がかかる。気合いを入れて「読むぞ」というモードに入らないと、なかなか本を手にとることが難しい。それは学術書の濃度というか密度というかが初学者の私にとってはとても濃いものに思えて、書かれている一つ一つのことを咀嚼するのに時間がかかるということがその一因である。そしてそれを継続して読むまたは読破するとなると、余計にサクッとできるものではない。それが論文を書き終えてから今日までの間、少しづつではあるが学術書を読むというハードルが下がりつつある。純粋にこれはとてもいいことだと思う。少なくともあと2年は研究の世界に身を置くことになるので、こうした学術書や学術論文に抵抗がなくなることは良いことであると思う。ようやくスタートラインに立ったとも言えるかもしれない。

けれども、果たしてこれで良いのだろうかとふと思ったのだ。正確にはこれ”だけ”で良いのだろうかと。

 

哲学や人類学の理論というのは、文字通り「理論」であるので、抽象的である。これは世の中で実際に起きていることや過去に起こったことから、その本質となる部分を抽出することによって導かれる(と私は今のところ理解している)。そう、理論は現実から生まれるのである。今の私に欠落しているのはこの”現実”なのではないか。

もともと一人でいるのを好む性分なので、卒論を書く以前から毎日のように人に会ったり、飲み会をしたりということをしてはいなかった。けれどもこれまでの私はたしかに現実を生きていた。好きな小説を読んだり、映画を観たり、お笑いを見たり、YouTubeを見たり、時には何も考えずにボーッとしたり、たまに友達と飲みに行ったり。特に何かのためになるわけでもないが、ただ好きなことをやって生きていた。そこには余白があった。

対して、今の生活には余白がない。時間があれば学術書を読み、思考までもがすぐに抽象的な何かについて考えている。別にそれは嫌々やっているわけではないし、卒論を書き上げた今、何か必要に追われてそうしているというわけではないのだが、身体が脳がそのようになってしまっている。言うなれば常に殻にこもった状態で、ずっとその殻を固くしようと栄養を吸収し続けている。もしかしたらこれは自分自身が変身するための筋肉痛のようなものなのかもしれないが、うっすらとどこかで違和感があるのだ。

今日なんとなくその違和感の正体がわかった。私は現実から離れすぎているのだ。自分の中で卒論執筆期間に入ってから、まともに友達にも会っていない。バイトには行っているのだが、その休憩時間とかにもスマホで自分の世界に入ってしまい、誰かとどうでもいい話をしたりしていない。一日中家にいるか、ゼミのために学校に行くか、電車に乗ってバイトに行くかの日々。その移動中も本を読むか、電車が混んでいればイヤフォンを耳にねじ込み自分の世界に入る。家に帰ってきて、ご飯を食べながらビールを飲み、食べ終わったら一服してまた本を読む。この単調な日々がルーティーン化して、私は活動してはいるが、常にどこか現実とは離れた場所を漂っている。

一人でいることは大切、時には孤独になることも必要と言われるが、もしかしたら私は独りになりすぎているのかもしれない。現実から離れた抽象的な思考はふわふわと漂い続け、さらなる抽象的な思考を呼ぶ。独りでいすぎるとこのループにずっとハマったままなのかもしれない。果たしてそれは生きているということになるのだろうか。

 

 

3. 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、けれども

僕は一度誰かのことを「ちょっとなあ」と思ってしまったら、しばらくその人とは口もききたくないと思うほどに嫌いになってしまうところがある。人を嫌いになったりすることは滅多にないのだが、というか他の人に比べて他人の言動を許容することができる範囲は広い方だと思うのだが、それゆえに一度自分の中でその人が嫌いのラインを超えてしまったら、その人のあらゆる行動に嫌悪感を抱くようになってしまうきらいがある。

これまでの人生でそのラインを超えた人は本当にわずかしかいないのだが、久しぶりにそのラインを超えて、できればもう顔も見たくないというレベルで嫌いになってしまった人がいた。その人とはバイト先で出会った。ここでは仮にAさんとする。

Aさんはバイト先の同僚である。僕は大学1年生の頃からずっと同じバイト先でお世話になっているのだが、そのバイト先に入ってすぐにコロナ禍に見舞われて求人がストップしていたので、しばらくは年齢的にも働いている年数も一番下という状態が昨年の3月ごろまで続いていた。コロナが落ち着いて昨年の3月ごろから採用活動が再開して、バイト先の店舗の規模も拡大したので、そこからは次々に新しく働き始める人が増え自分が年齢的には一番下だが勤続年数的には上という状態が増えていった。そんな時に入社してきた一人がAさんだった。

Aさんの年齢は自分の親と同じくらいであるが、元々東京で薬剤師をしていてコロナ禍になって田舎に引っ越すことにしてここに来たと言っていた。Aさんは入社当初から、少しでも具合の悪そうな人がいたら薬を大量に持ってきたり、休憩時間に誰かが「〇〇が欲しいんだよね〜」というようなことを言ったら、翌日に自分の家にあったそれを持ってきてその人にあげようとしたりしていて(プレゼントとかではない)、ちょっと変わった人だなという印象があった。この時はもちろん嫌いになったりなんてしていなかった。Aさんが入社して少し経って、一緒に働くようになってから僕は少しずつAさんのことが嫌いになってしまっていった。

研修期間を終えてAさんと一緒に働くことが増えると、あることに気づく。Aさんの仕事の覚えるスピードが他の人に比べるとゆっくりなのだ。同じ時期に入ってきた他の人は仕事を覚えてどんどん現場に出ていっているのに、Aさんだけは昨日教えた業務が次の日もできていないということが多かった。

もちろん覚えが遅いのは全然いいし、人それぞれ習得のスピードは異なるのでそれは全然気にしてなかったのだが、問題は別のところにあった。Aさんは平然と嘘をつくのである。

例えばこんなことがあった。Aさんが入ってきて3週間くらい経った頃、たまたまAさんも僕も2日続けてバイトに入っている時があった。その1日目、Aさんは僕とは別のもう少しベテランの人に商品の入荷処理の仕方を教えてもらっていた。そして僕はそれを横目に別の作業をしていた。そして次の日、Aさんは昨日教えてもらった入荷処理の業務を任され、僕がそのフォローについた。最初Aさんはスムーズに入庫処理をするページを開いたので僕は「そんなにフォローはいらなそうだな」と思ってAさんの横で別のやらなくてはいけない作業をしていた。途中で僕は他のスタッフに呼ばれて別の作業を手伝ったりして、10分ほど経ったところで「Aさんそろそろ終わったかな」と思いながらAさんのところに戻った。「Aさん入庫処理終わりましたか?」と言いながらパソコンの画面を覗くと、そこに映っていたのは入庫処理のページの一番最初の画面だった。「?」となった僕は「もう入庫終わったんですか?」とAさんに尋ねると、Aさんは「入庫処理のやり方を教わっていません」と堂々と言い放ったのだ。

え?

昨日入庫処理のやり方を教えてもらっているところを見ていた僕は絶句した。

 

これがはじまりだった。Aさんは自分の失敗を絶対に認めたくない人のようで、その後も他のスタッフを相手に同じような嘘を連発した。その度に僕は「また嘘ついてるよ」と思って辟易としていた。

そんなAさんだが、接客はうまかった。というかしつこいくらいにお客さんにセールストークをすることができるのだった。それは僕にはできないのですごいと思う。けれどそれにも問題があった。Aさんはお客さんをロックオンすると、その人がどんな製品を探しているのか聞き出して、それに合いそうな製品をお店中駆け回って集めてお客さんに提案するのだった。そうするとお店中に散らばって置いてあった製品が一箇所に集められることになるので、その場所には製品が溢れることになる。そしてそのお客さんが別のものをみようと移動するとAさんもそれについていくので、必然的にその場には製品の山だけが残されることになる。それを僕は何度片付けたことか。そしてAさんはそのお客さんとの話が終わるとそのまま製品の山をそのままに、片付けるそぶりもなく次の接客に向かうのである。

そんなことや、ここではとても書ききれないようなたくさんのことが積もり積もって、Aさんは僕の中で嫌いのラインを超えてしまった。いつしか僕はAさんの一挙手一投足を腹立たしく思うようになってしまっていた。Aさんと同じ日にシフトに入っていると、少し憂鬱な気持ちになったりしていた。Aさんはバイトに来てもほとんど接客しかせず、裏の細かな業務だったりは全くやらないというような感じになっていて、僕のほうは細々とした業務を任されることが多かった。

そして今日である。僕とAさんは同じシフトに入ったのだが、朝礼で社員さんが接客についての話をしてくれた。その内容は閑散期に入ったからこれまで以上に一人一人のお客さんに対して積極的に声をかけていけるようにしていこう、というようなものだったのだが、その話の流れでAさんと僕の接客の話になった。まずAさんが積極的に声をかけていて良いという話になった。これは実際本当で、Aさんは抵抗なくお客さんに声をかけることができる。対して僕はお客さんに声をかけることが苦手である。Aさんの話が終わった後その社員さんに「お前はどう?」と聞かれたので僕は「いやー苦手ですね。」と答えた。するとAさんがすかさず、「でもこの前お客さんとすごい話せてたよね(笑)」みたいな感じで口を挟んできた。僕にはそれがAさんに上から目線で言われたような気がして、「はあ?てめえのケツを俺がどれだけ拭いてきたと思ってんだ。ろくに業務もやらないくせにどの口がそんな上から口きけるんだ?」と思ってしまった。もちろん僕が接客がそんなに上手くないのは本当だし、Aさんがお客さんにどんどん声をかけているのは本当だ。それはそうなのだけど、全員がやっているような細かい業務を一切と言っていいほどやらず、自分の接客の後片付けを他人にやらせるような人がなんでそんなに偉そうにできるんだと思って無性に腹が立った。僕の筆力がなくて多分伝わっていないと思うけど、僕は結構ずっとしんどかった。自分の親くらいの年齢の人が、やるべきことをやらずに自分の好きなことだけしてそれで自分の得意なことだけを他人にひけらかすような態度が、そしてそのフォローをさせられることが。

 

ようやく話の前フリが終わった。本題はここからである。

 

朝礼で褒められたことで気分が良かったのか、Aさんは今日ずっと上機嫌だった。そして例のごとく今日もお店は閑散としていて、余裕があった。僕も含めて他のスタッフはお客さんが来なくてもやることはあるので(というかやることがなくてもそれを探そうとするのが仕事をする態度だと思うが)、空いた時間もなんだかんだと作業をしていた。対してAさんは業務はほとんどやらないので、お客さんが来なければただ立っているだけである。今日もほとんどの時間そうだった。しかし、閉店時間が迫ってきた時おもむろにAさんが動き出して、自分から接客以外の業務をやりだした。

自分でもなぜだかわからないが、それを見て僕は、なんだか少しだけAさんを許容できるような気がしたのだ。朝礼で褒められて機嫌が良かったから業務をやる気になったのかもしれない。僕が本当に腹が立っていたので態度に出ていて、Aさんもこれはまずいと思ったのかもしれない。それか誰かがAさんに業務をお願いしたのかもしれない。わからないが、Aさんが自分から接客以外の業務をしたというその事実だけで、僕はこれからAさんのことをこんなに嫌悪しなくてもいいのではないかと思えた。

あれだけAさんのことを嫌だと思っていたのに、朝は本当に腹が立っていたのに、たったそれだけのことでここまで自分の感情が変化したことが不思議でこのことを書いている。自分にも至らないところ(例えば接客がそんなに得意ではないこととか)があったし、全ての業務を完璧にこなしているわけではない。それもよくわかっているつもりだが、Aさんのことを毛嫌いしていたことはある程度正当な反応だったと今でも思う。それでも、Aさんがいつもはやってくれなかったことをやってくれたというたったそれだけのことで、ここまで自分の感情が動くとは思わなかった。

Aさんこの先も裏の業務やってくれるといいな。

2. 卒論を提出した

学部の卒業論文を提出した。なかなか執筆モードになれず、本格的に書きはじめたのは12月も半ばになってから。ゼミ内の提出を目前に控えた時期だった。

書きはじめて気づいたのは、何万字という文量が必要な文章は三日三晩では完成しないということ。もっと早く取りかかれば良かったと思っても後の祭りで、締め切りがもう目前に迫っていた。修論でもっときちんとしたものを書かなくてはいけない日がいずれ来るので、ここでは今回の卒論執筆の反省と、もっとこうしておけば良かったと思うことを備忘録として書き残しておきたい。

 

取りかかりは早ければ早い方がいい

これは言わずもがなだが、論文執筆に取りかかるのは早いに越したことはない。というか、ずっと最終的に論文を書くのだということを念頭に、色んな本を読んで勉強して、きちんと理解し、自分なりに理論を作るということをずっとやっていった方がいい。今回は本当に付け焼き刃で、「この書籍に書いてあるからこういうことが言える」というレベルでしか論文を書くことができなかった。自分で調査してわかったことを書いているところはある程度形になったと思うけど、研究背景や考察の部分は自分で書いていることに対しての深い理解もなく、ただ書いてしまった部分が多分にある。修論レベルになったらそんなことはまかり通らないはずなので、自分で引用する理論はもちろん、その背景まできちんと理解してから論文を書くということが必要である。

そのためには普段から定期的に学術書を読んで、その内容をきちんとアーカイブしておくことが大事で、それは一朝一夕には決してできない。幸い自分は書籍を読むことは好きなので、これも日々の習慣にしていきたい。その上で、書いてあることをただそのまま理解するだけではなく、そこで言及されている先行研究にまで遡り、その議論の前提となっている事柄についてもきちんと理解していきたいと思う。

毎日少しづつでも書く

これは指導教員の先生に論文執筆を始める前に言われたことでもあるのだが、その時は言わんとしていることがよくわからなかった。しかし今こうして自分で一本の論文を書き終えた後に振り返ると、このアドバイスは本当にその通りであった。大学の先生たちはこの道のプロであるので、これまで何十本も論文を書いてきている。そんな先生が言うのだからこれは本当にそうなのだろうし、自分の実感としてもこれは実践するべきだと思う。

ローマは一日にしてならずで、何万字という文字数になる論文をきちんと論理立てて書こうと思ったら、数日間では絶対に書き上げることはできない。一日一日コツコツと文章を積み重ねて、それを検証するということを繰り返さなければ、論文と呼ぶに値する文章は書けない。そういう意味でも毎日少しづつ書くということはとても重要なことである。次回はこれをちゃんと実践できるようにしたい。

学問に終わりはない(というか世の中のほとんどのものはそうなのだろうけど)

論文を書いていて、そしてそのために調べ物をしていて身に染みたのは、調べれば調べるほど、学問には果てがないということである。例えばある学説Aについて書くとして、まずはそのことが書かれた書籍や論文を読むことから始まる。その論文を読んでいると、この学説Aは別の学説Bという前提のもとに成り立っていることがわかる。次にその学説Bについて調べると、今度はこの学説についてはCとDという議論がなされているということがわかる。そしてこのCとDについて調べると・・・という感じで、次から次に色んなことを知らなければ、学説Aについて書けないということがわかってくる。考えてみればこれは当たり前で、学問というのは数多の先人たちの叡智の上に成り立っているわけなのだが、今回実際に論文を書いてみてこのことを肌で感じた。

今回はなんとかなったかもしれないが、今後はその議論の前提となっている事柄まで全てを自分なりに理解した上で進んでいかなければならないのだと思う。大学の先生方が毎日のように論文を読んでいるのは多分そういうことで、その対象について過去の歴史から最新の学説までを網羅していないととてもこの修羅の世界ではサバイブできない。今回でそのことがよくわかったので、学術書や論文を読むことを習慣にしていきたい。

文章は書くことでしか上達しない

不思議なもので、完成したと思った文章も何度も読み返すとあちこちにおかしな句読点や誤字脱字が見つかる。また、自分で書いた文章を読み返してみると同じような表現ばかりを使っているなあということがわかってくる。これはもう文章を書き続けることでしか克服することができないのだと思う。あとはきちんと推敲をすること。

これまである程度文章は読んできたはずなので、言葉のアーカイブというか文章の引き出しはあるはずである。それを生かしていくためにも、書く筋肉をきちんと鍛えないといけないのだということを改めて感じた。書く力をつけるためにこのブログも続けていきたいし、定期的に論理的な文章も書いていかなくてはいけないと思う。本当に文章は書くことでしか上達しない。

逆に言えば、書くことで文章力はある程度鍛えられるはずである。今回たった1ヶ月ほど書く生活を続けただけで、これだけの文量の文章をそんなに抵抗なく書くことができている。書き続けることで少しづつ自分がどんな時に書きやすいのかとか、どんな順番で書けば筆が進むのかということもわかってきた。とにかく書き続けられるように自分で色々と工夫していきたい。

自分の文章や論を批判の風に晒すことは必要

今回の卒論はほとんど1人で書き上げてしまったのだが、自分の文章を誰かに見てもらってコメントをもらったりすることは絶対に必要である。もちろん1人で黙々と書く時間はなくてはならないが、ある程度まで書き上がったり論が出来上がってきたら、他の人に見てもらうことは大事。今回は指導教員の先生に書き上げた後にコメントをもらったが、自分では至らなかった点を次々に指摘していただいた。誰かに見てもらうのは怖い。しかしその過程は絶対に必要で、それがあるからこそ文章は完成度の高いものになっていくのだと思う。最初は他人に見せるのが恥ずかしくなくなるくらいまで自分で突き詰めて考えて、必死に書く。そのフェーズが終わったら、さっさと他の人に見てもらって、芯を食った意見は全て甘んじて受け入れる。そしてそこでもらった知見をもとにもう一度自分の論を見直して修正し、また頑張って書く。そしてまた誰かに見てもらって・・・ということをいかに数多くできるかということに、論文の完成度はある程度かかっているのではないかという気がする。そのためにはやはり早く自分の暫定的な結論や考えを形作ることが肝要で、それも日々の積み重ねがものを言う。

 

と、ここまで書いてきたが、同じようなことを手を替え品を替え書いているような気がしてきた。とりあえずこれまでの先人たちの叡智をきちんと読んで理解し、日々考え続け、書き続けることである。これが2023年の目標かもしれない。

1. 無題

しばらくずっと卒論執筆におわれていた。卒論の執筆で一日に何千字も書くことが習慣になりつつあるので、これをこのまま継続していきたいと思いはてなブログをはじめた。普段はnoteに書くことが多いのだけど、noteはヘッダー画像なしでは投稿しづらかったり、引用をしたり脚注をつけたりするのがしづらかったりするので、しばらくはてなブログを使ってみようと思う。

これまで自分は物書きにはなれないなと思っていた。けれど今回卒論を書いて、無理矢理にでも何万字という成果物を作らなければならない状況に置かれて実感したのは、単に自分はこれまで物を書く訓練が圧倒的に足りていなかったのだなということである。論文を書きはじめて最初に感じたのは、一夜漬けで何万字も書くのは不可能であるということだった。12月の半ばに一度初稿の提出をしなければならなかったのだが、その時の自分はまあ3日くらいあれば2万字くらいは余裕だろうと思っていた。ところがどっこい普段書く習慣のまったくない状態で、3日ではクオリティのクソ低い文章を1万字も書くことができなかった。そこから心を入れ替えて、一気に大量に書くのではなく一日に少しづつでもいいから卒論を書き進めていくことにした。

帰り道に近くのコンビニでビールを買ってきて夕飯を食べながらそれを半分ぐらい飲む。そしてビールの残りを飲みながら一服して、そこからその日の書き物をしている。これが最近のルーティーンになりつつある。不思議なものでそんな習慣を続けていくうちに少しづつ一日に書くことのできる分量が増えていった。今では一日に一文字も書かないと、本当にうっすらではあるけれどなんとなく気持ち悪い感じがするくらいになってきた。

せっかくならこの習慣を続けていきたいなと思って今日も書いている。何か別の書き物がある時はこの時間にそちらをやるかもしれないので、毎日更新することにはこだわらずにやろうと思っているが、何も書かなければいけないものがない日にはここに書いていこうと思う。日記を書けばいいとも思ったけど、一丁前に自己顕示欲はあるので、もしかしたら誰かが見ているかもしれない空間に自分の書いたものを置いておきたいという気持ちがあった。あとは基本的に自意識過剰なので、書き殴った文章を知り合いに見られるのは恥ずかしいのである。というかそっちが本当の理由である気もする。

春から大学院に進学する予定なので、いつかまた修論を書かなければならない。授業でレポートを書く機会もあるだろう。そんな時に文章を書くことがまったく苦にならない状態だったらとても楽だし、精神衛生上もいいような気がする。卒論という、書き物千本ノックを経てなんとなくいい状態である気がするので、この状態をキープしていくためにも日々何かを書くことを習慣にしていきたい。

卒論を書いていて、自分はつくづく引用でできている人間であるなあと思った。自分から声高に主張したいことは特にないし、そんなことは恥ずかしくてできないと思うのだが、誰かが言っていることでなるほどなと思ったことを自分の中に蓄積したり、世の中で起こっていることの裏側を考えることは好きだ。ここではそんなことを軸にして書いていけたらいいかなと思っている。