sait0’s blog

思想があり、それを概念として提示するだけではなく、実践する生き方

4月12日

北海道に来て10日ほどが経った。最初の一週間は毎日のように駅ビルに通って日用品を買い集め、両手に抱えきれないほどの買い物をする日々が続いた。福岡の家もバタバタと荷造りをしたので色んなものをとりあえず捨てたり売ったりしてきたせいで生活に必要なものがほとんど手元にない状態だったので、買い物に行かなければまともな生活もできないような状態だった。だからその頃は何も考えずにとりあえず毎日買い物に行っていた。

その頃はこの街の中で僕のことを知っている人は誰もいない、これからどんな自分にもなれると思って胸躍らせたものだった。しかしそれも落ち着いて日常がはじまると、待っていたのは無気力な日々だった。学校の授業もはじまったりして新たな出会いに胸を高鳴らせていたのだが、そんなにすぐに友達ができるわけもなく、学校に行く時は行くが、それ以外の時間は家に引き篭もるようになった。朝から晩まで特にすることもなく(本当はいくらでもやることはあるのだが)、毎日ダラダラと動画を見たりする日々。引っ越してくる前にあんなことをやろうかな、こんなことができるかなと思い描いていた生活とは全く違う日々を送っている。

学校は楽しい。大学院まで来るとみんな何かしらの研究をしにきているので、自己紹介でどんな研究をしているのかという話を聞くだけでみんなとても面白そうな研究をしていてその話を聞くだけでもとても面白い。それは本当にそうなのだが、みんな研究をもしくは勉強をしにきているので(そりゃそうだ)いわゆる「大学生」みたいに飲み会ウェーイとかそんな感じでは全くないのだ。自分は、もちろん研究や勉強もしにきたのだが、それと同じくらいかそれ以上にコロナで失われた2年間を取り戻したいというモチベーションで大学院に、しかも全く知り合いのいない大学院にきてしまったので、そこのギャップに苦しんでいるのかもしれない。それに加えてこちらに引っ越してくる前、まだ福岡にいる時に、勝手に札幌での生活をあれこれ想像して、こんなことできそうだなとか、こんな自分になりたいななんて淡い期待を抱いていたので、それが全然できていないこの状況がすぐには受け入れられていないのかもしれない。

こんなことを書きながら、そんな一週間やそこらであれもこれもできるわけはないのだと思っている自分もいる。それはそうなのである。今自分が福岡時代を懐かしんであの頃はああだったなあなんて思っていることも、それは福岡での4年間の積み重ねがあったから結果的にああいうふうになっていただけの話であって、すぐに何かが劇的に変わるなんてことはまあないのだ。それはわかっているつもりである。

しかしながら同時に、こんなにも家に引きこもっている自分に嫌気がさしているというのも正直なところである。話し相手もおらず親とよく電話しているのだが、母親には「単純に歳をとって周りが見えるようになっただけだよ」と言われた。確かにそれはその通りであると思う。もうこの歳になれば、大学の同級生だってみんな就職したし、もう馬鹿騒ぎして盛り上がるみたいな年齢でないこともわかっている。周りの状況はそりゃそうなのだ。それはよくわかっている。

今書きながら思ったのは、自分が今なんとなく感じている違和感というか虚無感みたいなものの原因は、周りが意識高すぎてついていけないというよりかはむしろ、新しい環境でこれだけ時間があるのに特に何もしていない、何もできないでいる自分に戸惑っているのだということだ。時間はある、新しいことを始めたりイチから自分のキャラを作っていくのにはこれ以上ない絶好の機会である。大学院の授業も想像していたよりは負荷は少なそうで時間もある。なのに、1日をただ無為に過ごし、ただ時間が過ぎるのを待っているような怠惰な生活を送っている自分に嫌気がさし始めているのである。何をするわけでもないのに自分は本気を出せばなんでもできると思っているこの傲慢さ。何か頑張りたいけどそれを始めてしまったらもう軌道修正はできないのではないかと案じて二の足を踏んでいるというこの状況。そんな風になってしまっているこの状況はとてもとてもストレスがなく楽でいいのだが、果たして自分はそんな日々を望んでいるのだろうか。そんなことをもう一度考え直すべきタイミングにあるということなのだろう。